【仏罰】

こころにその真実を知っているのにそれとは離反したことを口にする。 こころに為すべきことを知っているのにそれとは離反した行為を為す。 このようなことをするならば、かれ(彼女)には仏罰が下るといわれる。

仏を目の前にしてその人が仏だと認知できずに不遜なことをする。 目の前の人が仏だと聞き知っているのにそれを認めることができない。 かれらもひとしく仏罰を受ける。 他ならぬ自分自身が自分自身に仏罰を下すからである。

仏罰にはいろいろなものがあるが、身体の表面にそれが出るのはまだ質がよい。 場合によっては、生命にかかわるものとなるからである。 人によっては、自分自身を自分自身で葬ってしまう。 かれの人生は、突然に終止符が打たれる。 事故や事件、火事、恐ろしい病がかれを滅ぼしてしまうからである。 正しいことを正しいと認めることができない自分自身が、自分自身を、自分のやり方によって滅ぼしてしまう。 それが仏罰の真実である。

心構え正しき人は恐れるにあたらない。 心構え正しき人には、仏罰ではなく大いなる栄えがもたらされ、福徳と功徳によって楽しみの中に解脱するからである。


[補足説明]
釈尊は、十の仏罰があると言う。 (1)激しい痛み、(2)老衰、(3)身体の傷害、(4)重い病い、(5)乱心、(6)国王からの災い、(7)恐ろしい告げ口、(8)親族の滅亡と、(9)財産の損失と、(10)その人の家を火が焼く。 ──この愚かな者は、身やぶれてのちに、地獄に生まれる。