【心構え】

何を為すにせよ、人が心を落ちつけて精進するならば、それはついには「精(エキス)」となってその人に望ましい果報をもたらす。 しかしながら、何を為すにせよ、心を落ちつけることなく闇雲に突き進むならば、それは汚濁のごとくその人にまとわりつき、望ましからざる報いを為す。 それは、ただ煩いと苦悩とをもたらすものとなる。 それゆえに、覚りの境地に至ることを目指す人は、つねに心を落ちつけているべきである。

ところで、世間においても、心構え正しく、よく気をつけている人は、雑多なことがらの中から有益なものだけを選び出して修得するのである。 かれは、益のないことがらについてはそれらを正しく排し、顧みることなく、当初の目的を決して見失わない。 かれは、弛むことなく自分の道を歩み行きて、実に得るべきものを得、身につけるべきことをまさしく身につけるに至るのである。

それと同じく、覚りの境地に至ることにおいても、心構え正しく、よく気をつけて、徳行に篤く精励し、人と世の真実を知ろうと熱望する人が、世間において種々さまざまに遭遇する出来事の中から理法に適う教えだけを見事に選び出し、修得するに至るのである。 かれは、理法に適わない諸の説は(こころに)排し、未だ知らずにいてしかし至るべきその究極の境地を(こころに)見失うことがない。 かれは、多くの福徳と功徳とを積み、機縁を生じて、ついに円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至るのである。 それは、かれが望んだ以上の無上なる境地である。

このことわりゆえに、心構え正しきことはつねに称讃される。 心構え正しき人は、世においてあびせくる諸説に心を汚されることがない。 心構え正しき人は、世間のただ中にあっても心清き人々に囲まれ、覚り以前においてさえ世を楽しみとともに遍歴することになるであろう。 かれは、修行を楽しみつつ、ついにまごうことなき覚りの境地へと至るのである。 それは、ひとえに、かれの正しい心構えによってもたらされる果報なのである。