【無明と真実の真相】

人々(衆生)は、無明に覆われている。 それゆえに、真実の真相(=すがた)を見ないのである。 人々(衆生)が盲なのではない。 盲ではないが無明ゆえに見えないでいるのである。

しかしながら、人が無明を破ったならば真実の真相を見る。 そこに至ったとき、彼のすべての疑惑は消え失せる。

自分の想いに従ってものごとを見る人は、名称と形態(nama-rupa)によって真実ならざるものを見る。 彼には真実ならざるものが真実に見える。 しかし、人が無明を破ったならば名称と形態の作用が消滅し、この名称と形態(nama-rupa)が残り無く滅びて真実を真実のままに見るのである。

聡明な人は、解脱以前においても真実の真相を微かなりとも覚知する。 目の前の知恵の輪は解けるものであると正しく覚知し、あるいは錯覚図形が錯覚を引き起こすものであると正しく覚知するようなものである。 そして、その微かな覚知が正しい信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、ついに無明を裂け落とさせるのである。