【迷い】

正しい信仰(=発心)を確立していない人々(=衆生)は、さまざまに迷うものである。

・ どんなに精進しても、いかように精励しても、生きているうちに覚りの境地に至ることができないかも知れないと思い、儚んで迷う人がある。

・ やさしくしようと思ってもやさしくあることができず、やさしさの真実を知ろうと欲しつつもその真実を理解することができないで迷う人がある。

・ こんなことをしていて一体何になるのだろうと思い、あるいは時間や労力の無駄が気になって自分自身を見失い、無力感を生じて迷う人がある。

・ 自分が迷いの生存のうちにあることを識ることがなく、真理を耳にしたとしてもそれを真摯に受け入れることができずに、愚かに迷う人がある。

しかしながら、ここなる人が自ら正しい信仰(=発心)を確立し、人間に対する根底の不信を払拭して、欲と疑いとを離れ、自らのこころに微かな智慧の光を灯したのであるならば、決して迷うことはない。 なぜならば、かれは、すでにこの一なる道(=仏道)を歩んでいるからである。

もし人が、迷いを脱することを望み欲するのであるならば、「人々(衆生)は迷いから脱することができるである」と知って、よく気をつけて世を遍歴すべきである。 人のまことを、他ならぬ自らが信じ、自己の根底の「それ(=真如)」の存在とその確かな現れを信じて、迷いの根本を根こそぎに摘出せよ。

こころある人は、怖れることなく信じる道を進んで、自らによって自らの迷いを離れ、正しい信仰を確立すべきである。 それができない人は一人としていないのであると知られるからである。