【道の歩みの可否】

道の歩みの可否は、やる気(モチベーション)の問題ではない。もちろん、何かをしたからということでもない。道の歩みの可否は、「定まったか?」 どうかである。正しい信仰が定まれば、すでにこの一なる道を歩んでいる。情欲を離れる気持ちが定まれば、名称(nama)の解脱(=心解脱)が起こる。世 を厭う気持ちが定まれば、形態(rupa)の解脱が起こる。正法の理解が定まったとき、慧解脱を生じて仏となる。

いわゆる決心によって定まる。しかしながら、決心すれば定まるのではない。決心に呼応した因縁を生じてこそ、それが定まる。気持ちの問題であり、その可否は各自のことがらである。