【世間の衆生】

世間は、衆生の総体である。しかしながら、完成された衆生はいない。何となれば、もし僅かでも世間に完成された衆生があるならば、それを見た多くの人々が覚るであろうからである。

ところで、実際には世間の衆生を見て覚る人はいない。そこで、観において衆生を完成させなければならないことになる。