【他心通】

解脱を果たすと識別作用が止滅する。 また、解脱を果たした人には少なくとも三種の明智(漏尽通、宿命通、天眼通)を生じる。 そして、もう一つ。 解脱を果たした人には他心通を生じる。 この他心通が獲得されているかどうかを点検することで、その人が本当に解脱したかを判別することができる。

他心通は六神通(漏尽・宿命・天眼・天耳・神足・他心)の一つである。 他心通の特徴として、その獲得の有無を外から眺めて確認できることが挙げられる。 他の神通は内的なものであって、外からそれらが獲得されているかどうかを確認することができない。

他心通は、定慧の「慧」に結びついた神通である。 他の神通は、定慧の「定」に結びついている。 それで、他心通を点検することで解脱者が”智慧にまつわる解脱”を果たしているかどうかが分かるのである。 仏には明らかに他心通がある。 そして阿羅漢にも他心通がある。 なお、心解脱者にも初期の他心通があるが、完成されてはいない。

他心通とは、相手の心を見通す力のことである。 しかし、この言い方では漠然としていて分かり難いであろう。 そこで敢えて分かり易く言い変えれば、他心通とは「相手に決して騙されることがない力」である。 すなわち、相手の言葉や表情、振る舞いそのものに影響されることなく相手の真意を一瞬に見極める力。 それが他心通である。 解脱者は、他心通があるゆえに人間関係において過ちを犯すことがない。

ところで、天眼・天耳・神足の神通は本人の単なる思い込みの所産ということがあり得る。 悪魔さえも、これに似た神通を行使するからである。 しかしながら、漏尽、宿命、他心の神通は単なる思い込みということはあり得ない。 真に解脱を果たした人だけが、これらの神通を如実に知るからである。 そこで、獲得されているかどうかが外的に見て取れる他心通を点検することで、その人が本当に解脱を果たしているかが判別できるのである。

[補足説明]
公案は、基本的には他心通の有無・是非を問うものである。 「一円の公案」しかり、(久松真一氏の)基本的公案しかりである。 解脱者にとって、時々の他心通は何かの固定的な、予めの規準・規範に照らして確立されるのではない。 他心通は、目の前の材料だけで直接に、咄嗟に、一瞬に確立される。 そこで、公案はその咄嗟の機微を問うて、修行者が他心通を獲得・理解するための一助となることを期待するのである。 公案で他心通そのものが獲得されることはないが、その取り組みが覚りの機縁となることは間違いない。