【すべて人間の中に存在している】

人を覚りに至らしめるその「それ」は、すべて人間の中に存在しており、あるいは人間を通じて世に出現する。 したがって、この世のその他の現象をいかにつぶさに調べ、考究しても、それによって人が覚ることはあり得ない。 逆に言えば、この世の現象など何一つ知らなくても人は解脱することができる。

しかしだからと言って物や現象がまったく無意味だと言うのではない。 人は物や現象にまつわって起こる思いへの執著を縁として煩悩を生じ、その煩悩の真相をこころの深奥に熟知した人がそれを超えた智慧を世に現出・出現せしめたとき、人を覚りへと至らしめることになるからである。 人は皆このようにして解脱する。 それゆえに、こころある人は物や現象にこだわってはならないが決して軽視してもいけない。

物や思いにまつわって世に生起することがらと、煩悩が生じて安らぎを失い、しかしその心の動揺が善知識によってピタリとおさまるその摩訶不思議な光景に遭遇したならば、解脱するであろう。 聡明な人は、それが正法の通りに世に出現した智慧(=仏智)であると識るからである。 善知識はつねにそのように出現する。 まるで不意に遭遇する大事に臨んで、こころある人は気をつけていよ。 大事に臨んで大歓喜(〈特殊な感動〉)を生じ、まさしく解脱せよ。