【人生は短い】

如来がいつまでもこの世に居てくれると思い込んではならない。 聞きたいことがあれば聞けるうちに聞くべきである。 しかしながら、本当に大事なことは如来がこの世にいようといまいと自分自身の為すべきことを為し遂げることなのである。

学ぶことにすぐれた人は敢えて答え合わせをしない。 そんなことをしなくても正しく解けたときにはそれが分かると知っているからである。 自信がない者。 疑惑ある者。 疑念に覆われた者。 信仰に欠けている者。 邪な者。 悪人。 自分から目を閉じている衆生。 これらの者がついに覚らない。

こころある人は、眼を開いて漆黒の闇(=一切世間)を見つめよ。 そうしているうちに微かな光を認め、進むべき道を見い出すことを得て、ついに円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達できるからである。

暢気な者は自分の寿命が無限にあるように思い込んでいる。 軽薄な者はそのうちに覚れるだろうと楽観視している。 邪な者は自分自身を駆り立て、欲深き者は他人にけしかけられてしまう。 悪人は覚りの因縁を根絶やしにしてしまい、愚かな者は如来を見てもそれが仏だと知ることができない。

ただ、いとも聡明な人が人生の短いことをさとり、覚りを求める心を起こし、駆り立てず、けしかけられず、機縁を生じ、如来や善知識の振る舞いに仏の真相を見て、ついに自分自身が仏になるのである。