【稀有なること】

人が善知識の言葉を耳にして発心することは難しい。 そもそも善知識が善知識を発することが稀有なることであり、その誰に向かってという訳ではなく発せられたその善知識を耳にしてそれによって自ら省みて、そうしてそれが彼の道を正しく歩もうとする心構えに結びつくことはさらに稀であるからである。

人が善知識の言葉を耳にして解脱することは難しい。 そもそも善知識が善知識を発することが稀有なることであり、その特定の誰かに向けて発せられたとはとても言えないこの善知識を耳にして、それによって正法の真実の真相をさとり、〈特殊な感動〉を生じて、まさしくさとり終わることはさらに稀であるからである。

(法身の)諸仏は、つねに世に出現しようとしている。 しかしながら、諸仏は特定の言葉を持たない。 それゆえに、諸仏は人の口を借りて世に出現するのである。 諸仏は、そのときしかないそのときに世に出現し、最上の言葉を世に放つ。

けれども、人々(衆生)がこの諸仏の言葉を理解することは難しい。 ただ、菩薩だけがこの諸仏の言葉を理解して解脱するのである。