【歓喜と思惑と無上の楽しみ】

好ましいことであれ、好ましからざることであれ、世人は歓喜に束縛されている。 そして、歓喜に向かおうとする思惑が人をあれこれと行動させるものである。 しかし、そのようであってはとても真実の真相を知ることはできない。 それでは、互いにぶつかり合うだけとなり、和することができないからである。

その一方で、聡明な人は聞く耳を持ち、性急ならず、たとえ遅ればせながらであってもことがらの真相を知って迷妄を超え、他ならぬ自分自身の過ちを正して繰り返さない。

こころある人は、聡明であれ。 知り合ったばかりの人に対しても、古くから知っている人に対しても長くつきあうほどに親しみをもって共に安らぎに近づく人であれ。

そこには世間の歓喜を超えた無上の楽しみがあるからである。