【くずおれた人生】

どんなに有意義で素晴らしい人生を歩んだと自負していても人が覚ることなく世を去ったならば、それは「くずおれた人生」であると言われる。 有意義でもなく、素晴らしくもない人生だと感じている人のそれはなおさらである。

如来は、多くの人々のくずおれた人生を見る。 しかしながら、もろもろの如来は人々のくずおれた様子を見て敢えてそれを立て直してあげようとはしないし、また為し得ない。 もろもろの如来は、ただ道を説き、自らの境地を世に示すだけである。

しかし、時として人々のくずおれた人生に触れて今こそが一大事であると見る人が現れる。 彼は善知識と呼ばれる人である。 そして、善知識はくずおれた人に向かって世に稀有なるその言葉(=善知識)を発するのである。

人々が、くずおれた人生を送るのもそれを立て直すのも各自のことがらである。 聡明な人は、耳を澄ませて善知識のことばを聞く人であれ。 それによって人生を全うすることができるからである。 他の人々のくずおれた人生を垣間見ては真実を知ろうと熱望せよ。 それによって道は見い出されるからである。

こころある人は、自ら望んでくずおれた人生を歩んではならない。 気をつけて世を遍歴し、くずおれることなく人生の究極の目的を達成せよ。