【中道を歩む】

発心以前においては、人は〈中道〉を知ることができない。 したがって、人は発心以前において〈中道〉をそれと知って歩むことはとてもできないことである。 しかしながら、発心以前においてさえ人は〈中道〉を歩み得る。 何となれば、こころある人は世間を平らかに歩むからである。

その人はあやしげな行為を為さない。 その人は異教に誘われない。 その人は正しい道を踏み外すことがない。 かれは、そうしてついに究極の境地へと到達する。

そこに至ったとき、かれ自身まさしく〈中道〉を歩んでいたことを知ることになるのである。