【聖求】

仏と法と善き集いに帰依した人は、錯乱した心を鎮めて安らぎのよすがを確立する。 正しく求める人が、人と世の真実を知り明らめてついに解脱し、憂いを去って、円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に住することになる。

真実の振る舞いが、人の心を安らぐものである。 真実の言葉が、人の心を安らぐものである。 真実の想いが、人の心を安らぐものである。

正しく求める人は、真実の真相を真実のままに見て世における法(ダルマ)の現れを知り、法(ダルマ)を我が身に体現することになる。 そもそも、法(ダルマ)は自らの身に体現してこそその真実を知ることができるものである。 もろもろの如来(=ブッダ)は、そのことを真実のままに語るだけである。

長い間、考えが的を外して来たのであろうと、想いが空回りして来たのであろうと、心が種々さまざまに束縛を受けて来たのであろうと、解脱したならばそれらはすべて過去のこととなる。 それゆえに、こころある人はこの広くて平らかなる道(=仏道)を歩んで、究極の境地(=ニルヴァーナ)へと到達せよ。

正しい考え(=法)を会得した人は、すでに妄執を超えて悩むことがない。 それは、他の人々の過ちを許し、しかも自らの根底の過ち(勘違い)に心の底から気づくと同時にもたらされるものである。

求道の人が、世の喧騒に触れてふと混乱した言葉を吐露することは許されることであって、それ自身は道の妨げとはならない。 しかし、真に求道する聖求の人は、騒がしい世の中にあっても人の声なき声を聞き分けて次第次第に真実をさとり、ついに道を浄めて究極の境地へと到達するのである。