【容易ではないことがら】

 『瞬時にすべてが分かったが、これに気づくのは容易ではないことだ!』

知恵の輪に正しく取り組み、ついにその知恵の輪を解いた人は感動とともにそのように言うであろう。 その人は、決して

 『こんな簡単なことになぜ気づかなかったのだろう?』

とは言わないのである。

しかし、ある人が知恵の輪について問われたとき、

 『知恵の輪というのは、こんな簡単なことになぜ気づかなかったのだろう? と思うようなことさ』

と言ったとするならば、その人は知恵の輪を正しく解いていないのに解けたと誤認しているか、あるいは未だ知恵の輪を解いていないのに知恵の輪を解いたと虚偽を語る人であると知られる。 なんとなれば、知恵の輪の真実とは先に述べたようなものであってこのようなものではないからである。

 『まさしく頓悟であったが、法の句が仏智であると正しく理解することは容易ではないことがらである!』

正しい道の歩みに精励して、ついに解脱した覚者はそのように感興のことばを発するであろう。 覚者は、決して

 『法(ダルマ)は知ってしまえば実は簡単なことだった』

とは言わないのである。

しかし、ある人が覚り(=解脱)について問われたとき、

 『法(ダルマ)は知ってしまえば実は簡単なことだった と思うようなことにすぎない』

などと言ったとするならば、その人は未だ覚っていないのに覚ったと誤認しているか、あるいは未だ覚っていない衆生であるのに覚りについて虚偽を語る人であると知られるのである。 けだし、覚りの真実は先に述べた通りの感興を発すべきことがらであってこのようなものではないからである。

知恵の輪を解くことも、解脱することも、それぞれに容易ではないことがらである。 それを知る人は、そのように知って『それは容易ではないことがらである』と真実のままに語る。

聡明な人は、覚り(=解脱)は容易ではないことがらであると知って、しかし諦めることなく道を歩んで、ついにこの円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達せよ。 それを為し遂げたとき、『まさしく頓悟であったが、法の句が仏智であると正しく理解することは容易ではないことがらであった!』と感興のことばを発するのは間違いないことなのである。