【これは知恵の輪?】

”キャストカルテット”という名前の、キャストパズル(発売元:永岡書店,製造元:(株)ハナヤマ)があります。(右の写真を参照)

この”キャストカルテット”は、難易度が高く(★★★★★★)かなり難しいとされています。

実際に、これを解いて、さらに元の状態に戻すのには大変な努力と忍耐が求められることでしょう。 とくに、分解したピースを元の状態に戻すことが難しい。  なぜならば、解く時にはいわば闇雲な操作を多々行なわざるを得ず、そのような操作の果てに解けるのであるが、そのときにはそこに至るまでの過程を通常は 完全には覚えていないからです。 ピースの数が4つ(しかも同じピース4つではなく、2種類のピースが二組)であることも、記憶することを困難にしている 大きな要因であると言ってよいでしょう。

その解法の過程を、簡略に記号化して書けば次のようになります。

1α22 → 
α122 → (α)212 → (α)122 → (α)212 → (α)21(2) → [α]21[2] → [α]21+2 → [α]12+2 → α1+2+2 → α+1+2+2

注記) 1,
αは刻印があるピース。(1,αは 本来同形状のピースであるので、逆でも可。 位置関係を表すために表記を分けている。) 2は刻印がないピース。 ()および[]は、縦になった状態を表 す。 ABは、AおよびBの単独ピースあるいは複数ピースが絡まった状態を表す。 A+Bは、絡まったABが分離された状態を表す。


さて、この”キャストカルテット”は、知恵の輪であると言ってよいでしょうか? もちろん、広い意味では知恵の輪であると言って何ら差し支えないでしょう 。 しかしながら、解けても直ぐに戻せない(戻し方が直ぐには分からない)パズルを知恵の輪と呼ぶのは少し憚られるかも知れません。

その点、理法ページ No.29 サブ項目で紹介した”デビル”(キャストパズル デビル,発売元:永岡書店,製造元:
(株)ハナヤマ)は、まさに知恵の輪らしい知恵の輪であると言えるでしょう。

  → ”デビル(知恵の輪)”

私は、『解けた瞬間にそれを元に戻す方法をも同時に理解され、いわば解けた瞬間にすべてが明らかとなるパズル』が知恵の輪と呼ぶに相応しいと考えます。

ところで、人が観(=止観)を完成させて解脱する過程は、知恵の輪を解く過程に似ています。 なんとなれば、解脱したその瞬間にこの世のすべてが理解さ れ、一切の疑惑が解決されるのであるからです。 覚りの過程(それを敢えて過程と呼ぶならば)には段階が無く、まるで唐突にそれが起こることも知恵の輪に 似ています。 覚りには、本来複雑な過程がなく、それゆえに修行段階とでも呼ぶような過程は何ら存在していません。 また、衆生と仏との間にあると仮設さ れ得るようないかなる中間状態もないのです。 それゆえに、修行過程においてそれらを一々記憶する必要もありません。 それは、まさに”デビル”のような ものであって、”キャストカルテット”のようなものでは無いからです。

人は、「より複雑なパズルを解くことによってより大きな感動に浸ることができる」とは断定的には言えない。 少なくとも私は、”キャストカルテット”を解 いたときには感動が小さかったが、”デビル”を解いたときには大きな感動があったことを覚えています。 人の覚りもそれと同じく、何か複雑高邁な知識や実 践(=修行)によって人が覚るのではないと言えるのです。(そのように私は如実に知っているからです。) しかしながら、人が解脱したとき(=覚ったと き)には人智を超えた『特殊な感動』を味わうのは事実であり、それはたった一つの智慧(の理解)によってもたらされるのは間違いないことです。

聡明な人は、世に飛び交う一切の段階の説を捨てて真実の教えに耳を傾け、遠回りすることなく真っ直ぐに道を歩み行きて、自ら得た智慧によって人と世の一切を理解し尽くして解脱し、虚妄ならざるこの円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至れかし。


[参考]

下のリンクページにおいて、キャストカルテットの解法手順を上述の記号と写真とで説明します。 もちろん、自力でこのパズルに取り組もうと思う人は、見ない方がよいでしょう。

  → キャスト カルテットの解法