【懺悔】

もろもろの如来、世尊、道の人、善知識は、人を悲しませることがない。 しかし、人々は(そうとは知らずに)互いに傷つけあっては、人を悲しませるのである。

もし人が、正しい省察を為し、為し遂げて、「少なくともそのことについては決して人を悲しませないようにするのだ」と決心するならば、それを〈懺悔〉と呼ぶ。 懺とはそのような行為を死ぬまで犯さぬと誓うことであり、悔とはこれまでの過ちを知って戒めの礎とすることである。

人々は、自ら勝れていると見なし考えるところのものによって、(そうとは知らずに)人を悲しませる。 しかしながら、真実にすぐれた人は、悪しき想いと根底の束縛とを離れ捨て去って、諸の迷妄に陥ることなく、さらに妄執をも超えるのである。

たといたった一つのことがらであっても、そしてそれがどんなに小さなことがらであっても、懺悔し終わった人はすでにこの一なる道を歩む〈道の人〉であると認められる。 かれ(彼女)は、あり得べき観の正しい取り組みの中にあり、あるいはすでに観(=止観)の完成者であるからである。

こころある人は、省察によって観(=止観)を完成し、世の妄執を超えて解脱を生じ、この円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達せよ。