【こころに留めること】

円かなやすらぎを求める人が、仏とか覚りとか解脱とか道とか因縁とか縁起とか善知識とかの言葉を聞いて、それらが虚妄ならざることなのであるとこころに知って、それらの言葉をこころに留めんとするならば、それらはついに精となってかれをまごうことなき覚りへと導く。

ところで、こころに留めることは信じることではない。 人が何かを(無条件に)信じるならば、それは偏見に過ぎないからである。 そして、偏見は甘露の実をもたらさず、苦い実を結ぶものである。

正しくこころに留める人は、ただそれをこころに留めるだけである。 かれは、何ものをも(如来の言葉さえも)そのままに信じることがない。 かれは、ただ疑惑を去って精励するのである。 そして、正しい精励は、真実を指し示すこころの羅針盤となってついに甘露の実をもたらす。

こころある人は、ことわりを聞いてこころに領解し、こころに留めて、自らに依拠して他の何ものにも依拠することなく、精励して、あり得べき真実のやすらぎへと到達せよ。