【諦】

人は、真実を知ろうとして種々さまざまに考究するが、それだけによって真実を明らめるには至らない。 なんとなれば、人は(ことに臨んだそのときに)真実を真実のままに知ることを諦めることによって、かえって人と世の真実を識り明らめるに至るからである。 そのとき、かれは人智の限界をさとって、かえって人智の限界を超え、ついに真実の覚り(=仏智)に到達する。 ただし、それはかれの正しい心構え如何によっている。 それは、漫然として起こることではない。 それは、闇雲に為して到達できるものではない。 それは、熱意によらず、真実を求める正しい熱望によって起こり到達するに至ることだからである。 かれの明知が、かれ自身を真実(=やすらぎ)へと導く。

このことわりゆえに、円かなやすらぎを求める人は(自分ならざる)世間の何ものにも依拠してはならない。 たとえ、見いだしたその道がまさしく正しい道であったとしても、その見いだした道を正しいものであると予め見なし固執してはならぬ。 またたとい、善知識が発する善知識を聞いても、善知識そのものにとらわれてはならない。 善知識に依拠することは決して間違いではないが、真実に依拠すべきは善知識ではなく自分自身なのである。 そして、そのような人こそが、正しく善知識(=法)に帰依するに至るのである。

自分自身の誠を信じる人が、真実(まこと)に到達する。 自分自身の過誤を、敢えて明らめることをおそれない人こそが、衆生の真実のすがたを識り明らめて、自らの人格を完成するに至る。 かれは、ついに苦の真実(=苦諦)を理解したのである。

人をして覚りに導く4つの諦(苦・集・滅・道)は、微妙なるものである。 こころある人は、この微妙なる法(ダルマ)を他ならぬ自らによってまさしく自らに体現せよ。