【虚ろな問いと真実の問い】

名称(nama)に翻弄される者は、虚ろな問いを発する。 それは、問いとしての言語的形式を正しく備えてはいるが、空疎で、ニルヴァーナに役立たない。 それは、ただ紛糺を増すだけのものとなる。

名称に翻弄されない人は賢者である。 かれは、名称(nama)作用が名称にもとづいて起こるものであるとこころに識って名称に翻弄されないのである。 かれは、問うときには真実の問いを発する。 その問いは、世間の何かに触発されて生じたものでは無く、かれのこころの深奥からわき上がった、かれにとってはどうしても解決されるべき、かれだけの問いである。 しかしながら、そのかれの問いは、まさしく人類普遍の問いであると認められるものなのである。

円かなやすらぎを求める人は、何にもまして、能く問う人であれ。 けだし、自ら発する真実の問いこそが、自らの苦悩を終滅せしめるもといとなるからである。