【因果および縁起】
因果は、ここに明らかな果(結果)があり、あれがまさしくその因であったと当事者に確信され、また第三者から見てもその(当事者が確信した)あれがまさしくその因であると考えられるという場合においてさえ、因果を確定することは実はできない。
その一方で、縁起は、ここに明らかな報(結果)が顕れ、あれがまさしくその縁であったと当事者に確信された場合、その(当事者が確信した)あれが真実に縁であったと正しく確定され、それが覆ることはない。 それは、第三者に認定してもらう必要のないものであり、それゆえに縁起を識る人には明(みょう)があると知られ称されるのである。
縁起を知った人は、因果の虚実を識る。 しかしながら、因果を思惟・考研しても縁起を識ることはできない。
こころある人は、縁起によって無明を破り、因果(のくびき)を超克する人となれ。