【定慧】

正しい考えは正しい実践のもといであり、正しい実践は正しい考えのよすがとなる。 これらが完成したとき、考えは智慧となり、実践は定(=精神の安定統一)となる。

それゆえに、やすらぎを目指す人は、考えと実践とが別のものであると見なしてはならない。 これらは、道の二つの側面に他ならないからである。

この一なる道の真実を知ることを欲する者は、他の人の過失はいざしらず、自分自身の行為についてこそ省察すべきである。 それによって正しい考えが起こったならば、かれはやすらぎに至る道の実践をまさしく行なっていると認められるからである。

こころある人は、他ならぬ自分自身によって自分自身を導き、自らによって自らの心を矯めて、想いによって生じる根本の動揺を落ちつけ、人としてあり得べき究極の考えと実践とを我が身に体得せよ。 けだし、覚りの境地は、全き静けさを伴った安らけく最高の生活であると知られるからである。