【仏典の記述】

もろもろの仏典の内容は、至る所が重要であり、同時にどの箇所も重要であるとは言えない。 なんとなれば、人は、仏典の記述を見て覚りの境地に至る機縁を生じ得るが、それは仏典に記された言葉そのものによるものではないからである。 それゆえに、人が仏典の記述そのものにこだわるならば、それはただちに悪魔の説と化す。 その一方で、人が仏典の記述をよく理解して、しかも理解したことにこだわることがないならば、かれにとって仏典はこの世における最上の宝のありかを示してくれる稀有なる地図となるであろう。

他の人の解釈は、参考にはならない。 しかしながら、他の人の解釈を読んで、それによって仏典の真意を理解することはあり得る。 したがって、仏典を読誦して覚りの境地に至ることを目指す人は、仏典について記された諸説をも平らかに読み究めるべきであると言えよう。

人は、経典を転じるべきであって経典に転じられてはならない。 それは、このように仏典に取り組むことによって達成されるであろう。 賢者は、仏典の記述によってまごうことなき覚りに至れかし。