【恕(じょ)・<最上の忍耐>】

努力によって恕(じょ)を為し遂げることはできない。 それは、暗闇を見ようとして灯かりを点けるようなものだからである。 かれは目利きとは言えない。 その一方で、よく恕(じょ)す人はそれを努力無しに為し遂げる。 たとえば、どんな微かな光をも見逃さないすぐれた目を持つ人だけが、漆黒の暗闇を見て、それがまさしく暗闇であると知るようなものである。 かれこそ、目利きと称される。

他人の言葉を恕(じょ)すのも恕さないのも、各自のことがらである。 恕(じょ)すことを、別の人が教え導くことはできない。 しかしながら、ここなる人が自ら為した行為とその顛末をよく省みて、本来為してはならぬことと為すべきこととを(こころに)識り分けるに至ったならば、かれは恕(じょ)すことを得たのである。 かれは、わき起こる欲望を制し導き、堪え忍ぶこと堅固であり、自ら奮励努力して、まさしく心をととのえているのである。

こころある人は、この最上の忍耐を、忍耐ということなしに為し遂げて、円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至れかし。