【徳行】

欲望あるいは欲求の対象物を目の前にして、我執(我ありという思い)と愛執(我がものという思い)とを離れた人は、少なくともそのことについて他の人を悲しませることがない。 かれは、それについて貪ることなく、誠実であって、優劣・勝敗・順逆の念を離れ、自己を妄想せず、心を制し導き、言葉を慎み、行為を慎み、想いを慎んでいる。 かれは、意地悪な人ではない。 かれは、善悪(のこだわり)を超越し、それゆえに何を為しても後悔することがない。 自ら憂いなく、他の人を憂いの淵に沈めることもない。 かれは、柔和であり、決してものごとを荒々しく処理することがない。 かれは、人を害する気持ちが無い。 かれは、それゆえに温和な人と呼ばれ称される。

ある人が善い行ないを為しても、もしもかれの心が何かに縛られていたり、けしかけられていたり、こだわっているとするならば、それではそれは徳行とは言えない。 しかし、ここなる人が、かれ自身それがいかなる行為であったのかを知らなかったとしても、それが何にも縛られることなく為され、けしかけられたものではなく、こだわりを離れて為されたものであるならば、それはまさしく徳行である。 その善き行ないは、遠からず近からず、大いなる福徳と功徳とをかれにもたらすことになるであろう。

人が、徳行を為すことは容易ではない。 しかしながら、よく徳行を為す人は、実に容易にそれを為し遂げる。 けだし、人は何かを知って徳行を為すのではなく、(余計なことを)何も知らないゆえによく徳行を為し遂げるのであるからである。 心構え正しき、いとも聡明なる人のありようはまさにこの通りなのである。

こころある人は、知るべきである。 直ぐなる心(=無心)だけが、よく徳行を為すのであると。 明知の人は、領解せよ。 このことわりゆえに、それがたとえ如来が説いた教説であり、あるいはまたそれがよく真実を解き明かしたまぎれもない理法の言葉であるとしても、人はそれらを含めていかなる見聞きしたことにもこだわってはならない。 自らよく吟味して、一切のこだわりを離れかし。 不滅の安穏を求める人は、このように徳行を為さねばならない。