【頓悟】

覚りは、まるで唐突に訪れるものである。 それがそのように起こったとき、かれは人と世の真実すべてを理解する者となり、かれのその理解は褪せることも転 じることもない理解を超えた理解となって、かれに意識されることなくつきしたがうものとなる。 ここに至って、かれは解脱し、一切の苦悩の終滅を自らの身 に体現したことを識るのである。

そして、この時を経ずしてもたらされる覚りを<頓悟>と名づける。

頓悟の真実は、次の通りである。

・ 頓悟は、決して劇的(ドラマチック)なものではない。
・ 頓悟は、決して超越的なものではない。
・ 頓悟は、ものを欲しがるようにしてもたらされることはない。
・ 頓悟は、気づきではない気づきであり、いわゆる気づきとは無縁である。
・ 頓悟は、ひらめきとはまったく違っている。
・ 頓悟は、苦ならざるものによって起こる(と知られる)。
・ 頓悟は、苦によって誘発され得るが、その場合それは苦を超えた「それ」の現れとして世に現出する。
・ 頓悟は、その瞬間には「覚った」と言ういかなる認識をも生じないが、覚ったという確かな認知を生む。
・ 頓悟は、いかなる価値観にも随順せず、またいかなる価値観をも生じない。
・ 頓悟は、因縁によるものであり因縁無しには生じない。
・ 頓悟は、それが起こる前提があるが、その前提は前もって立てることのできないものである。
・ 頓悟は、むしろ一切世間において生じ、しかもなおその一切世間を終滅せしむ。
・ 頓悟は、予見できない。
・ 頓悟は、いかなる準備をも為し得ずして起こり、またいかなる準備をも要請せず、しかしかれのこころの準備を直に問う。
・ 頓悟は、いかなる段階の説にも従わず、起承転結の結びをも離れている。
・ 頓悟は、完全なる精神統一の中で生じ、完全なる精神統一をもたらす。
・ 頓悟は、当人にいつわりなき懺悔(さんげ)を生ぜしむ。
・ 頓悟は、かれの一切の過誤を打ち砕く。
・ すべて覚りは頓悟によるものであり、段階的にもたらされるもの(=<漸悟>と並び称される)では無いと知られる。

諸仏は、人々が覚ることをつねに願っている。 こころある人は、すみやかに覚りの境地に到達せよ。