【人生の真実】

もし人が、「生きている意味とは何か?」ということを思惟・考研して、それそのもの、あるいはそれにまつわる何かにこだわるならば、かれは快楽論,苦行論,懐疑論のいずれかを奉じるに至り、それゆえにかれは人が生きていることの意味をついに知ることがない。

また、もし人が「生きていることには何ら意味が無い!」と断じるならば、かれは虚無論,断滅論(唯物論),業(カルマ)否定論,運命論,宿命論などに陥ったのであり、少なくともかれがそのままであるならば、かれは自らの人生を意味あるものにすることはとてもできないであろう。

そして、人生の真実はこれら(外道)の諸説とは実は無関係のところにあるのである。

このことは、未だ覚りの境地に至っていない人であっても、その真実をこころに知り得ることである。 なんとなれば、人が真実なる人生のありようを知ろうと熱望するならば、はからずも自らの人生を意味あるものと為し、自らの人生を真実ならしめ、そのようにしてかれは死ぬよりも前に為すべきことを自ら為し終えて、人としてのあり得べき(最後の)人生を全うするに至ると期待され得るからである。

こころある人は、世の破り難き迷妄を破り、自らの超え難き妄執を超えて、自分自身の人生を真実ならしめよ。