【ただそれだけによっても】

もし人が、自分よりも明らかに劣る人の声を聞く耳をもつならば、ただそれだけによっても、かれは世に稀有に現れ出る<法の句>を聞き及ぶことであろう。

もし人が、自分よりも明らかに弱い人の声を聞く耳をもつならば、ただそれだけによっても、かれは世に稀有に現れ出る<法の句>を聞き及ぶことであろう。

もし人が、順逆の念を離れて、他の人の声を聞く耳をもつならば、ただそれだけによっても、かれは世に稀有に現れ出る<法の句>を聞き及ぶことであろう。

もし人が、人と世の真実を知ろうと熱望するならば、ただそれだけによっても、かれは一切の煩いを離れ得るであろう。

もし人が、他ならぬ自分自身への疑いを払拭するならば、ただそれだけによっても、かれは正しい<信>を確立し、一切の疑惑を離れるに至るであろう。

もし人が、人をけしかけることがないならば、ただそれだけによっても、かれは自分自身にも、自分ならざるものにさえも、けしかけられることは無くなるであろう。

もし人が、悪口を口にせず、いつわりを語らず、両舌をこととせず、好んで下らない話をしないのであるならば、ただそれだけによっても、かれは人間関係で苦労することはなくなるであろう。

もし人が、それが小さなことであろうと大きなことであろうと、勝敗へのこだわりを捨て去らんとするならば、ただそれだけによっても、かれは自分を見失うことはないであろう。

もし人が、言わずもがなのそのときに、清く聖なる沈黙をまもり互いの心を護り得たならば、ただそれだけによっても、そうしなければ知ることができなかったであろう自分の本心を識ることができるであろう。

もし人が、何かにこだわって、しかもその何かへのこだわりを完全に捨て去り得たならば、ただそれだけによっても、かれは自ら真実を見極めるに至ると期待され得るであろう。

もし人が、些細なことを疎かにせず、しかも大切ということに心が縛られないならば、ただそれだけによっても、かれは世間においてさえいつわりなき自由を享受し、ついには一切から解脱して、真実の自由を体現することであろう。

もし人が、孤独の境地に励み、しかも孤独に苛まれることがないならば、ただそれだけによっても、かれは善き友を得、あるいは自らが他の人にとっての善き友になることであろう。

もし人が、まことを聞き知って、それがまことであると識るならば、ただそれだけによっても、かれはまこと(=真実)に至るであろう。

もし人が、如来を見知って、あるいは過去の仏の言動を聞き知って、この世には争うことのない人が確かにいるのだと識るならば、ただそれだけによっても、かれは争いから離れた平安の境地に至り得るであろう。

ここなる人が、ごく短い言葉で語られ得るたった一つの真実を理解するならば、ただそれだけによって、かれはまごうことなき覚りの境地に至るであろう。 それが誰にとってもつねにそうであることが、法(ダルマ)に他ならないからである。