【思いとそのあり得べき帰趨】

ある人が、他の誰かを見て『あのような人になりたい』と思うならば、かれはついにはそのような人になるであろう。

またある人が、他の誰かを見て『あのような人にはなりたくない』と思うならば、かれはついにはあのような人にはなりたくないと誤って思った(=誤って見なした)その人のような人になるであろう。

なぜならば、思いの真実とはそのようなものであるからである。

しかしながら、ここなる人が、いかなる人を見ようとも『あのような人になりたい』とは思わず、『あのような人にはなりたくない』とも思わず、ただ『人としてのあり得べき究極の人になりたい』と思い、熱望して、かつその<思い>そのものをも超えたならば、かれはついには究極たる「その人(=仏)」になるであろう。 かれは、望んだ以上の望みを叶えることになる。

人の思いが因縁を生じ、もとなる思いを終滅せしめ、しかしながらその思いの正しい理解によって相依にもたらされた因縁によって人が人のあり得べき帰趨(=究極の境地)に至るさまは、実にこのとおりである。

それゆえに、こころある人は、思いを正しく理解せよ。