【争論を超えよ】

人は、真実を知ろうとして相手と語らう。 そこで、ある者は自らの見解に固執した説を立てて真実にせまろうとする。 また、ある者は、自ら抱く見解では何かが違うのであると心のどこかで感じていて、敢えて斜に構えた言葉などを用い、たとえばそのようにして自ら起こした争論の中でその本当の答えを見いだそうとさえする。 さらに別の者は、それとはまた違った行動によって真実を知ろうと種々さまざまにはからうであろう。 しかしながら、何をどのようにはからおうとも、争論の中に身を置く彼らにとって真実は遠い彼方にある。

ところが、争論の渦中というまさに混沌たるそこにおいてさえも、人は真実にせまることができるという世の真実が含まれ得るのである。 けだし、争論を生じ、争論に巻き込まれ、しかし争論無き立場に立脚したならば、真実なる<真実>を自ら知り得ると知られるからである。

ゆえに、こころある人は、たとえ争論の中にあっても争論を超えよ。 しかしもちろん、こころある人は争論に近づいてはならない。