【友・<最上の宝>】

つまらないことをして見せても友は「すごいことだ」と褒めてくれる。 たとえみすぼらしいすがたを世間に晒していても友は「君は大した人だ」と尊敬してくれる。 不如意に利益を損なうことがあって、きっぱりと諦め、「それはどうでもよいことであるから」と自ら納得していても、友は「どうでもよくない」と言って励まし、あるいは慰めてくれる。 このように、友は危険の在処を指し示してくれ、宝の在処さえも教えてくれるのである。

ところで、最高の友と称すべき<善き友>は、褒めてくれることもなく、尊敬してくれることもなく、励ましてくれることも慰めてくれることもないけれども、実にこの世における最高の宝(=真理)の在処を示し、ものおしみすることなく与えてくれる。 かれは、それゆえに<善き友>と呼ばれ<善知識>とも称されるのである。

人がもし、直接に、あるいは間接にでも、<善き友>によって与えられたその宝を得たならば、それはかれに人を超えた楽しみを与え、不滅の安穏へと導き、しかもそれは盗賊でさえも奪い得ぬものとなる。 その宝は、それゆえに<最上の宝>(=誰からも奪われることのない無上の宝)と称される。

こころある人は、友と親しみ、それにも増して自らが他の人のよき友であれ。