明けの明星

仏教は、慈悲を説く。その一方で、正法そのものは犀の角のように世界ではじめて世に出現した智慧を見出さなければならないと説かれ る。抜け駆けせよと言うのでは無い。互いの功徳を邪魔すること無く、自分自身の功徳をしっかりと積むべきことが説かれるのである。そうであってこそ、世に 希有なる法の句(善知識)の出現に遭遇したとき、その本当の意味を理解し得るのである。そうして、解脱が起こる。

修行者は、世に初めて出現した智慧を誰よりも先に見出さなければならない。そのときにのみ、解脱が起こるからである。そこで、気をつけていよとか、功徳を充分に積めとか、衆生を完成させよ──衆生の完成と同時に仏(智慧)が出現するので──などと説かれる。

釈尊は、覚り(=解脱)に達したときのことを振り返って、「明けの明星を見てすべてが明らかになった」と述べたと言う。明けの明星は、東の空にゆっくりと 上る星では無く、突然飛び上がったように光り始める星である。それで、飛び上がり星(トビアガリボシ)とも称する。これは、要するに善知識(化身)が漆黒 の俗世にまるで突然に出現する様を表現しているのである。

実際、善知識(化身)=法の句(善知識)=智慧は、世間のどこに、いつ、どのように出現するのかを予見することは出来ない。ただ、〈一大事〉の局面におい てのみ出現するのである。これを見て智慧を体得した人は、空に太陽が昇ったように世を照らす。この意味において、善知識(化身)(=明けの明星)は、覚り (=夜明け)の先触れなのである。

ここに、一切の疑問と疑惑は消滅する。