執著の結び

「誰にでも──どんなに愚かに見える人であっても──覚りのチャンスがある。」これは、本当のことである。

ところが、それなりに修行を積んだと思い込んでいる者ほど、このことを字面通りに信じることが難しくなる。彼の我執(我ありという思い)が、この事実を素 直に受け止めることを妨げるからである。そうして、他の人の覚りは自分とは何ら関係ない筈であるのに、自分の方からそのことについての執著の結びを作って しまう。

そこで、恕(じょ)すことが勧められる。あるいは、国を捨てた王のように道を歩むことが称賛される。つつしみこそ最上の行いであると説かれる。

修行者は、先ず自分自身に小さく打ち克ち、ついに完全に打ち克て。そこにおいて、解脱が起こると説かれる。