経典の主要部分

一般に、経典には方法論は記されていない。経典の主要部分は、覚りの境地がどのようなものであるか言うことと、〈道の人〉(覚った 人)がどのような人であるかについての説明が占めている。つまり、人が到達すべき目標点について述べているのである。これを正しく理解したならば、その人 もまたそこに到達することを得る。

到達すべき目標点が示されても、人々(衆生)は自分がそこに本当に到達できるであろうかと訝しむ。疑う者は、ニルヴァーナには到達し得ない。正しい信仰を起こし、他ならぬ自らが仏になれるのだと正しく信じた人が、ついに覚って仏となるのである。

正しく見る目を生じた人を、ブッダという。衆生は迷妄と妄執の中にあって、顛倒しており、正しく見ることを得ない。因縁によってこの名称と形態(nama-rupa)が滅んだとき、迷妄と妄執とが無くなる。これが解脱の真相である。

迷妄が無くなれば、人間関係が正常となる。妄執が無くなれば、生存の素因を作ることがない。ここに静けさと安らぎが確立され、住することを得る。

(あり得べき)観(=止観)の完成によって、迷妄が無くなる。智慧によって、妄執が無くなる。これが経典の核心であり仏教の要諦である。