修行が進んだとき

修行が進み、却って仏教が何か分からなくなったと思うならば、実はまさしく修行は進んでいる。修行が進んだので、自分が仏教のほん の一部しか分かっていないことが分かったのである。これは、分かってもいないのに分かった気になるよりは何千万億倍よりも素晴らしいことである。

そのような修行者が自ら見い出した道をまっすぐに歩んだとき、全部が分かる日が来るだろう。覚りが、その瞬間である。

もちろん、修行が進み、却って仏教が何か分からなくなったと思ったとき、道を逸れてしまうことが無いようにしなければならない。この意味において、修行者は自分自身に決して裏切られてはならないのである。