得手を伸ばして

得意とするところに、楽しみがある。しかしながら、放逸な者はその得意とするものによって墓穴を掘り、破滅してしまう。その一方 で、立派な修行者は、得意とするところのものを活かして道を歩み、楽しみと栄えとともにニルヴァーナへと近づく。もちろん、根底の戒めがしっかりと確立さ れているゆえにできることである。この根底の戒めを確立した人を、預流に達した人と呼ぶ。

不得手を克服することが、修行ではない。得手を伸ばし、しかも道を踏み外さないことが修行の要諦である。ゆえに、たとえば「苦い薬の(準)公案」を通過した人を、預流に達したと認定し得るのである。