真理と納得

その見解が相手を納得させられないから、それは真理ではないと判じられるのではない。その見解が覚りをこころから求めている相手を 納得させられないので、それは真理ではないと判じられるのである。その一方で、真理は、覚りをこころから求めている相手を納得させることができるものであ る。

同様に、如来の見解は衆生を納得させ得るものではない。如来の見解は、覚りをこころから求めている人にのみ我が意を得たりの回答を与え、納得させるものである。


【補足説明】

法華経−方便品第二には、次の記述が見られる。

**** 引用 ****
── もし私が生ける者達に遇えば、悉く教えるのに仏道をもってする。無智な者は錯乱し、迷い惑うて教えを受けない。私はこれらの生ける者達が、未だかつ て善の本を修めた事がないのを知っている。堅く五欲に執着して、無智と生存意欲の故に悩みを生じ、 諸々の欲の因縁によって三種の悪しき世界に堕ち六種の世界を輪廻して、つぶさに諸々の苦の毒を受け、受胎する微小な形は、世を重ねる毎に増長し、徳うすく 福少ない人間として多くの苦しみに迫られ、邪見の深い林に入り、あるとか、ないとか言いあらそい、この諸々の見解に頼って六十二種も備えている。深く虚妄 の教えに執着して、堅く受持して捨てず、我執がふかく、自ら誇り、偽善であり、心は不実である。千万億劫においても仏の名を聞こうとしない。また正しい教 えを聞かず、この様な人は救いようがない。 ──