無相と公案

相を示すということは、親近感を与えたり、逆に嫌悪感や恐怖を与えたりするものである。無相は、それらから離れ、情欲そのものを超 えたときに現れる。この意味を理解したならば、無相は無表情では無いことが分かるであろう。なぜならば、無表情は一つの相に他ならないからである。

(情欲を超えた)本心を相手にさとられないために、無相となる。そこにおいてこそ真実のやさしさは完成を見る。このからくりが問題ではない。真実のやさしさとは何か?ということが問われているのである。

「一円の公案」も「医師と患者の公案」も(久松真一氏の)基本的公案も、無相が根幹である。無相を完全に理解したならば、それぞれの公案を適宜に通過することを得るだろう。