世を厭う気持ち

自分を嫌悪するのでは、覚ることはできない。かと言って、未だ覚らぬ衆生の身たる自分がそのままで好ましいと思うようでは覚りは遙かに遠い。

では、どんな自分ならば真に好ましいと思えるか? それについて熟考することは、道の歩みの大きな糧となり得る。ある人は、これによって世を厭う気持ちが定まり、解脱するからである。