【理法に適った行為】

愚者は、たとえば行為によって覚りに近づくことができると考えている。しかしながら、いかなる行為によっても、それ自体が覚りに近づく手段とはならない。もちろん、行為を縁として覚りに近づく。ただし、これらのことは、まったく違うことなのである。

その行為が、静けさを増すのに役だったとき、そのときに限り、行為は道に(理法に)適ったものとなる。そうでないならば、何もしない方がむしろ静かである。静けさを目指して邁進する人だけが、安らぎ(=ニルヴァーナ)に近づく。