【修行は一人で行なうもの】

修行は一人で行なうものである。 私もそうだったし、細君(涼風尊者)もそうだった。 私はもちろん誰かと相談することはできなかったし、細君も私と覚りについて語らうことはなかった。 ある日突然、私も細君も解脱を果たした。

修行は一人で行なうものである。 それゆえに、一人で過ごす時間が多く取れる人は恵まれているのだと考えてよいであろう。 もちろん、引きこもっておれと言うのではない。 世の中のことを見ては、真理について考究し、あるいは観(=止観)を為し、自らの行為を省察し、また仏たちの言葉に触れるときには独り居がよいと言うことである。

覚りは独り居において起こる。 これはまぎれもない事実である。