【観の奥義】

人を覚りへと近づけ至らしめるこの一なる道には、いかなる教義も存在していない。 仏道は、宗教ではないからである。 しかしながら、観(=止観)の完成については、それを敢えて奥義として弟子達に授けることはできるのである。 それをここに述べたいと思う。 SRKWブッダに縁のある人は、この奥義によって自らの観を完成させよ。

SRKWブッダの奥義:

知らぬ間に大火傷を負ってしまった人がある。 かれは、頭から熱い油をかぶってしまったので目も見えなくなり、手足さえもままならない状態となった。 傷に触れるだけでも激痛が走ってしまうので、治療することもできない。 風が揺らいでも痛みがあるほどだ。 しかしながら、かれ自身は自分がどのような状態にあるのか知ることができない。 そこで、かれは声を振り絞ってわたしに尋ねた。

 「どうなってしまったのですか? まるで状況がのみこめないのです。」

私は答える。

 「そうですか。別に大したことはありませんよ。大丈夫です。」

私は、かれに知られないように周りを牽制する。