【覚りの障害】

知恵の輪を解くための手が、実は知恵の輪が解けるのを邪魔している。 知恵の輪のからくりにはそのようなものが少なくない。 したがって、左利きの人の方が右利きの人よりも解けやすい知恵の輪があるのは事実である。

これこそ覚りに役立つものであると思っていることがらが、実は覚りの道の障害となっている。 覚りを困難にしているのは、皮肉にもそのような心の仕組みであるのは確かである。 情欲が、覚りの大きな障害である。 人智が、人を迷わせているものの最たるものである。 したがって、情欲を捨て去ることが捨て去ることのなかでは最上であると言われ、人智に陥らないことが仏智(=智慧)を得るための最後の関門であると説かれるのである。

まつわることがらをすべて理解できたとき、それらを超えた境地に至ることができるのだと言い張る者がある。 しかし、それは事実ではない。 実際に起こることは、それらを超えたとき、それにまつわるすべてのことがらを理解するに至ると言うことである。 たとえば、すべての赤色を知って赤色全体を理解するに至るのではなく、たった一つの赤色を赤色だと知ったとき、同時にすべての赤色を理解するに至る。 それと同じく、人間らしいことがらをすべて知って仏になるのではなく、たった一つの智慧によって仏になったとき、人間めいたことがらのすべてを理解するに至るのである。 「超える」と言うのは、実際にはこのようなことなのである。

たった一本の道筋によって、知恵の輪は解ける。 たった一つの赤色を知ることによって、赤色すべてを理解できるようになる。 たった一つの智慧を得て、人は仏になる。 それぞれのことがらは、まさしく事実である。 そして、覚りの障害も実はそんなに多くない。 こころある人が、真実のやさしさを知ろうとするならば、あらゆる障害は消え失せるであろう。