【解脱しない間は油断するな】

いまだ赤色を知らず、赤色を知ろうとしている子供は、赤色を知らないうちはいかなる実りも無いことを知っているであろう。 もちろん、赤色を知ることについて途中に何らの充実感もない。 ただその子供は、自分はまだ赤色を知らないことだけは知っている。 そして、赤色を確かに知ったとき、赤色を知ったと知り、同時にすべての赤色を知ることになる。

いまだ知恵の輪が解けず、奮闘している人は、解けないうちは何の実りも無いことを知っているであろう。 そこにあるのはまだ解けないという苦しみだけである。 もちろん、まだ知恵の輪が解けていないことは誰よりも自分自身が知っていることである。 そして、知恵の輪がついに解けたとき、知恵の輪が解けたという正しい理解を生じ、その知恵の輪の全貌を知るのである。

赤色についても、知恵の輪についても、取り組んでいる途中においては、いまだそれをクリアしていないことは他ならぬ自分自身が知っていることである。 そのことを偽る必要もない。 ところが、こと覚りについては、いまだ覚っていないのに自分はまだ覚っていないとは思わず、自分はそれなりに覚っていると考える者が多い。 これこそ迷妄の最たるものである。

それゆえに、もろもろの如来は説く。 「解脱して解脱知見を生じない間は油断するな!」 いまだ解脱知見を生じていなければ、その者は覚りの道をたったの一歩さえも進んでいないからである。 そのことを修行者は認めなければならない。

この道には、途中の実りは何一つとして存在しない。 これは紛れもない事実である。 それでも修行者は、この一なる道をゆっくりと邁進せよ。 その先には、不動の安らぎが確かに存在しているからである。