【しあわせになるには】

人々(衆生)は足りないものがあるからしあわせになれないのだと考えているようである。 しかしながら、実際には人々はいろいろなものをかかえているゆえに苦しんでいる。

この世のもので、人々が執著するものによっては人はしあわせになることができない。 それらへの執著を捨て去ってこそ人はしあわせになることができる。 つねとは言わないが、この世にしあわせな人は確かに存在している。 かれは過去のことを後悔して思い煩うことが無く、現在について一切の悲苦憂悩を滅し、未来についても不吉なことが無い。

浅はかな者は、それが手に入ればしあわせになれるだろうと思い欲望を起こすが、もしそれが思い通りに手に入ったところでかえってしあわせは遠のいてしまう。 仮にその二倍のものが手に入り、さらに三倍のものを手中におさめたとしても、それらはかれを苦しめるだけである。 愚かな者は、しあわせを得ようとしてもがくが、それによってかえってしあわせのよすがをこわしてしまう。 一時的にしあわせを掴んだと思っても、結局はかれを破滅させてしまう。

しあわせを望むことが問題なのではない。 しあわせを得るための正しい方法を知らないことが問題である。 しあわせを欲することが問題なのではない。 しあわせを得るために手段を選ばないことが問題である。

人は誰しもしあわせを望みそれを得ようと欲するものである。 正しく望むこころある人はしあわせに達するであろう。 正しく求める聖求の人はしあわせを得るであろう。 真如がそれを後押しし、明知が道の歩みを誤らせないからである。