【仏弟子は迷いなく究極に至る】

人を覚りに導き至らしめるこの一なる道は、何の危険も潜んではいない。 その道の歩みは恐ろしいことなど何一つない。 向かうべき処は真っ直ぐに進めば到 達する場所である。 道は広大かつ平坦であり自分の足で歩いても車に乗って走っても(ガタガタすることなく)静けさとともに進むことができる。 よく省察 する人が道の歩みを確からしめる。 気をつけている人はつねに護られていて、世間の風(風評)に晒されることもない。 真理を真理であると正しく知る人 は、その自ら見い出した真理が自分自身を安らぎの境地へと運んでくれる。 適宜に法(ダルマ)が現出して、その人を円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと 導き至らしめるのである。


[補足説明]
釈尊の原始経典には、次の言葉が見られる。(引用:中村元氏訳)

○ 〔神いわく、──〕「その林の名は〈迷わすもの〉であるが、天女の群にかしずかれ、吸血鬼の群に仕えられている。 どうしたならば、そこから脱出する ことができるであろうか?」  〔釈尊いわく、──〕「その道は〈真っ直ぐな〉と名づけられ、その方角は〈危険なし〉と名づけられ、その車は〈ガタガタ音 を立てぬ〉と名づけられ、真理の車輪〈=法輪〉を備えつけられている。 慚じ(はじ)ることは手摺りの台の板、気を落ち着けていることはその帷幕(いば く)である。 〈法〉を私は御者と呼ぶ。 〈正しい見解〉を私は先導者と呼ぶ。 このような車に乗る人は、女であれ、男であれ、実にこの車によって、ニル ヴァーナの近くにある。」(サンユッタ・ニカーヤ1)

○ 〔傍らに立った(神の子)ナンダは尊師のもとで、次の詩をとなえた。──〕「時は過ぎ去り、〔昼〕夜は移り行く。 青春の美しさは、次第に〔われら を〕捨てて行く。 死についてのこの恐ろしさに注視して、安楽をもたらす善行をなせ」と。  〔釈尊いわく、──〕「時は過ぎ去り、〔昼〕夜は移り行く。  青春の美しさは、次第に〔われらを〕捨てて行く。 死についてのこの恐ろしさに注視して、『世間の利欲を捨てて、静けさをめざせ。』」(サンユッタ・ニ カーヤ1)

○ たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめを捨て去ってはならぬ。 自分の最高の目的を知って、自分のつとめに専念せよ。(ウダーナヴァルガ)

○ 安定している堅固なこの道は、ただ〔口先で〕語るだけでも、あるいはまた一方的に聞くだけでも従い行くことはできない。 心をおさめて、〔この道を歩 む〕思慮ある人々は、悪魔の束縛から脱するであろう。 思慮ある人々は、世のありさまを知って、実に業をつくることがない。 思慮ある人々は、よく理解し て、縛めを解きほごし、世の中にあって執著をのり超えている。(サンユッタ・ニカーヤ1)