【もったいないもの】

もろもろの如来が説いた理法の言葉を耳にして、それが一種難解であると感じ、分かり易く説かないのは『もったいない』と思う人があるならば、かれはそれだけで過去・現在・未来の仏を供養したことになる。 そのような人は遠からず覚るであろう。

この世にはいくつかの勿体ないことがある。

・ 人々(衆生)が直ぐにでも覚れるのに覚ろうとしないのは勿体ないことである
・ 人々が一切の苦悩から脱れることができるのに脱れようとしないのは勿体ないことである
・ 人々が憂いを離れることができるのに離れようとしないのは勿体ないことである
・ 人々がしあわせになれるのにしあわせになろうとしないのは勿体ないことである
・ 人々が理法の言葉を聞いたのにそれを理解しようとしないのは勿体ないことである
・ 人々が真理を見聞きしたのにそれを実践しようとしないのは勿体ないことである
・ 人々が無明にあって真実の真相(=すがた)を見ようとしないのは勿体ないことである
・ 人々がせっかく人として生まれたのにこの一なる道を歩まないのは勿体ないことである
・ ここなる人が浄き集いに参加しないのは勿体ないことである
・ ここなる人が善知識の言葉を聞いても理解しないのは勿体ないことである
・ ここなる人が仏にあったのに仏だと認識できないのは勿体ないことである

こころある人は、真実を求め、勿体ない人生を送ることを避けよ。 誰であろうとも世に稀有なるその宝(真に勿体ないもの)を得たならば、それによって自ら覚るであろう。 勿体ないものを『もったいないもの』であると心底に知る明知の人ならばなおさらである。