【愚か者の末路と賢者の帰趨と覚者の境地】

気がつけば窮地に陥っている。 愚か者の末路はつねにそうである。 気がつけば安穏の境地にある。 賢者の行為の帰趨はつねにそのようである。 観(=止観)を完成し、はっきりと知って円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に住している人。 彼が覚者である。 こころある人が解脱して究極に至る様はまさしくそのようである。

ふと気がつけばそうなっているというものはさらに別のものに変化する可能性があり、あるいはまた元の木阿弥になる恐れがある。 愚者だけでなく賢者でもそれは免れない。

はっきりと知って解脱した人はそれが別のものに変化することがなく、まして元の木阿弥になることなど決してないことを知っている。 ゆえにこれを不退転の境地とも呼ぶのである。

揺らぐものに頼る平安に座していてもそれはつねに転落の恐れを孕んでいる。 すでに不吉なことが見え隠れしているのならばなおさらである。 愚かな者は、あるいは賢者でさえもその平安が永遠であるかのように見なしているが実際にはそうはならない。 彼らは自分の行き着くところを知って愕然とするであろう。

徳ゆたかな人がついに不滅の安らぎに到達する。 そこは人生のあり得べき究極である。 そこに至れば苦悩がない。 そこに至れば憂いがない。