【ふと気がつけば】

ふと気がつけば... 人は時にそのように感慨に耽ることがある。 しかしながら、それはこの一なる道とは何の関係もないことがらであり、それどころかそれは悪魔とその軍勢の為せる業に他ならない。

・ ふと気がつけば私は幸せだ
・ ふと気がつけば私には安らぎがある
・ ふと気がづけば私は仏教に帰依している
・ ふと気がづけば私は仏道を歩んでいる

このような感慨はすべて虚妄に過ぎない。 なんとなれば、仏道は次第次第に覚りに近づくものであり、いかなる段階の説にも従わず、その途中においてはいかなる気づきも無いからである。 極わずかの微かな気づきさえも道の途中には存在しない。 ただ、この世には解脱する人とついに解脱しない人とがあるだけである。 解脱したならば解脱したという正しい知見を生じる。 解脱していないならば解脱したという知見を生じることがない。 それが法(ダルマ)である。

その本当の理由は不明であるが、悪魔はこの世には覚りなど存在しないかのように見せかけている。 悪魔は、覚りならざる境涯を覚りに似た境地であると見せかけ、それどころかその覚りならざるものが覚りそのものであるかのように人々(衆生)に思い込ませようとしている。

それゆえに、円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至らない間は決して油断してはならない。 解脱しない間は、ただの一歩も仏道を歩んでいないことを知って、この一なる道の歩みへと一歩踏み出す勇気を持つべきである。 それは、善知識の言葉を聞いて達成できるであろう。 それは、自ら仏になる決心をすることによって確かに達成できることがらである。

こころある人は、仏教にまつわるあらゆる感慨をも振り捨てて精進せよ。 仏の言葉を信じて徳行に篤く精励せよ。 身近なところに栄えを生じ、さらにその栄えを超えてこの偉大なる栄え(=ニルヴァーナ)へと到達せよ。