【如来は誰よりも感謝する】

如来は何を得ても感謝しないのではない。 むしろ如来は人々から布施・供養を受けたときには誰よりも感謝するのである。 如来だけが感謝し感謝されることの真実を知っているからである。

しかし、それでも如来は感謝そのものを高く評価することはない。 感謝は間違いなく世の美徳なのであるが、それは無意味ではないが、覚りには役立たないものであると知っているからである。 知っているゆえに、如来は知っていることを知るままに説く。

 『感謝は美しい、しかしこれは覚りそのものには役立たないものである。』

くり返し言うが、如来は布施・供養を受けたときには誰よりも感謝する。 したがって、もし如来から感謝されたいのであれば布施・供養するがよい。 それは決して裏切られることのない福徳の因となるであろう。 しかしそれでも如来は言う。

 『感謝は美しい、しかしこれは覚りそのものには役立たないものである。』

自ら如来になろうとする人がついに解脱して如来となる。 それがこの世の最高のことがらである。 感謝し、感謝される人が解脱することはついにない。 それは無駄ではないが、解脱の因とはならないものである。 もろもろの如来は、人々がすべからく如来になることを願う。 最高のことがらを人々に体現して欲しいからである。 こころある人は菩提心を起こせ。 それによって人はついに如来となるからである。 聡明な人は知るべきである。 いかなる感謝によっても人は覚ることがないのであるから、感謝を超えた真実の修行を為なさければならないのであると。

しかしもちろん、感謝し、感謝されることを軽んじてはならない。 もろもろの如来は、感謝し、感謝されることそのものが無意味なことではないと説くからである。